2022.11.24 雑記


不義理には不義理で返すのが礼儀だって気付いたのはここ最近のことだった。
昔は不義理にも愛で返すことが自分を高めるのだみたいなトンデモ理論で生きていたんだけれども、今思えばそれは明らかに間違っていた。なぜならそれは世のことわりに反することで、不自然で傲慢な考え方だから。
どうしてそんな無駄な頑張りをやっていたのかというと、まあもともと普通に性格が優しいというのもあるんだけれども、今思えばそうしたら一人ぼっちにならないのではないかという下心があったんだと思うんだよね。私の笑顔が魅力的なのは一人ぼっちにならないため。私は永遠に、母親に捨てられたという意識や不安や不信感を抱えたまま生きていくものだと思っていた。
でもある日、私は絶対に1人ぼっちにならない、もはやなれないんだろうなって確信しちゃったんだよね。安全地帯を手に入れてしまった。私の安全地帯は、誰かが持っていたんじゃなくて世界そのものだった。男でも女でもなく、親でも恋人でも友達でもなく、少女の頃忌み嫌って背を向けていたこの世界こそが!私の安全地帯だったの!驚きだったよ。
誰にも出会いたくないって思ってた。誰かに出会ってその人に作用するのが嫌だったし、私に近づいて傷ついて噛みついて去っていく人を見るのも嫌だった。どんどん人が嫌いになっていった。
でも人と人は出会ってしまうということを勇気を出して受け入れて、そしたらこれからこの世界のどれだけの人が私を好きになって愛してくれるのかが分かって、それはもう最高の気分だった。
私の作用は相手がコントロールすることで、私が責任を負うことじゃない。
だから私は安心して世界と出会って、好きになって、抱き合って生きていく。それって最高なんだよ。孤独と手を繋いだのでもないし、宇宙と一つになったのでもない。私が安心できる場所はここだったってこと。
手を伸ばせば、いつも誰かが手を差し伸べてくれる。そういう風になるように生きてきたのだから、そうなる。それが見たことない手だったとしても、私は安心してその手を取るよ。嫌だったらすぐ離していいってこともわかったから。別に誰かを嫌いになってもいいって気付いたから。
自分で自分を雁字搦めにしておかしな決まりを作って生きにくくしていたのも、まあそれはそれでよかったし私の中に残っていく。
そういう私がいたこの世界で、私は前より少しだけ自由になって生きるらしい。どうなることやら!