2023.3.20 ミモザの



蝶々のように振る舞って、意のままにならず簡単に捕まらなければ当たり前に男には困らないのだけれども、私はただ求められるだけではまったくもの足りない、というかむしろ不快である、という自分の性質に気がついた。
求められたり追いかけられるというのは私の求める愛され方ではなく、私は私の心の場所で、相手は相手の心の場所で密やかにお互いを想い合うことが好きだ。

同じ灯を見つめていても、2人は見つめ合わない。
私は見つめ合うことよりも、同じ灯を見て少しずつ言葉を交わしたり、ただ黙って空間の心地よさを感じたり、そういう愛し方が好き。
GRAPEVINEの曲の歌詞に「歩き疲れて思い出せばいい 胸のあたりで愛すればいい」というとんでもない一節があるけど、そう、そういうことだ。
というのもやはり、逃げる獲物を情熱的に追いかけることは簡単で、この私でその狩猟本能のような欲を満たすとはなんと無礼な、と感じるのだろう。
それはその男の周りの他の女性の役目だし、私は、いつでも同じ場所でただ月を見て歌を詠んでる。追いかけられても逃げない、だってここは私の庭だから。ただただそこで月を想っている。あなたは、どう工夫しても触れないお互いの寂しさがある、という事実の美しさを、私の庭に遊びにきて、味わって感嘆しているだけでいい。

私に何か施すつもりでいるより、私を不快にしない努力をしてほしい。求める気持ちを抑えて、ただ密かに私を想っている男がいるならば、私はやっと男を愛せる。
黙って私についてくる、私に気付かれないように私を守っている、私を静かに慕っている男が好きだ。
それでいい。私を欲しいと思わないで。その他大勢にならないで。私の好きな花を育てて、私の好きな料理を練習して、私のことを勉強して私の庭で待ってて。そうしたら、いつか誰も味わったことのないような至上の悦びを約束するよ。
狩りは他でやってくれ、私は獲物じゃない。私は女王、跪いてつま先にキスしなさい。それが分からない奴は今すぐ私の目の前から消えて、二度と顔を見せないでちょうだいね。