そよ風はペパーミント

有名なレストラン、高級な宿、旅行、宝石、何かを差し出す態度、機嫌を取ろうとする態度、私を欲しがる態度、この世のそういったもの全て、とにかく全てにうんざりだった。コロナでそういうものと接する機会が減って、自分も歳を取って、少しは健康になった。
私は、獲物では、無い。女は獲物では無い。女は人間だ。女は狼だ。女は砂漠だ。女は海だから、お前が入ってくるだけだよ。囚われるのはお前の方。私を御することができるのは、美しい女だけ。
私は何度も女に捕まったし、惚れてしまって、逃げたくても逃げられなかった。相手の庭で迷子になって、自分の家に帰れなくなった。でも彼女は呆れて私を吐き出して。それでいいと思った、彼女は女だから。私が鼻を啜ればティッシュをくれたし、あと、隣で笑っていた。女だった。


自分がそうされたら嫌だからこそ、人が人を欲しがってはいけないと常々思っている。
分かっていても、あ、この人欲しい、と思うことが稀にある。私も人間だから。でもそれはいつも良い結果を生まない。欲しい、となったら、どうなったって最後には飽きる。分かってる。でも永遠じゃないと嫌だ。永遠は存在しないって分かってる。でも嫌だ。ずっと欲しがっていたい。ずっと夢見ていたい。ずっと欲しがらせてくれる人が現れるんじゃないかって、夢見てた。
でももう分かってる。私はもう、欲しがりたくない。欲しがって何かが返ってきても、最後にはその人を悲しい気持ちにさせることだってある。だって欲望に返ってくるのは欲望だ。私は人に欲望されてそれを受け入れることが、人より得意で、大嫌い。だからいつも逃げ出してきた。でも、

その人の命がそこにあるだけで嬉しい、とお互いに感じる人たちとは、結局はずっと共に生きることになるのかもしれない。激しい気持ちや切ない劣情をそこに見出せるくらいには、鮮度を保って生きてきた。
もしはじまりには強烈な衝撃があっても、たとえ今はその余韻だとしても、その余韻が心地よければ一緒に生きていける。近くにいても、遠くにいてもいい。
一緒に生きていくというのは、求め合うことなく、欲することなく、同じ今を歩くことなのではないだろうか。その上で生まれる情こそが、荒々しく色めいていたり、もっとも危うかったりするものだと、私の心は今夜も実感しているよ。
日本代表戦の夜に香るエール350mlを2本、季節のたびに微笑みをひとつ、これらが私が本来受け取れる、愛の上限。
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