エル・プサイ・コングルゥ

2023年7月9日、
全部思い出した。
初めから決まっていた。
初めて行く札幌の時計台は、懐かしいくらい暑くて、安心した。
終演後時計台ホールを出るとさすがに外は涼しく、夜風は私の輪郭をもう一度定義した。

私は、偉大な芸術には包容力がある、としばしば感じている。そこに身を任せておけばいい、むしろ身を任せるしかなくなる瞬間があって、自分の境界を安心して溶かせる時間をくれる。
私が世田谷に引っ越した頃ずっと彼のライブを見に行っていたのは、そうやって安心したかったからだ。
そこでなら自分のくだらなさや静かさが分かって、ただの一生懸命生きてきた命だって分かって、お前はお前じゃなくても別にいい、どっちでもいいんだよ、と優しく。
ステージに立つその態度、その声、その目線、その体が、肩に力が入って動けなくなっていた私を名前のない生まれたばかりの生き物にする。
はじめかた、蹴っぽるみたくして取るリズム。昔の感覚が蘇って、知らない曲で泣いていた。正直、私は彼の曲のひとつひとつをそんなに知らない。私は理屈っぽくてしかもオタク体質なので、そういうのは珍しい。
それでもいつのまにか私の中で膨らんで、その心地よい圧迫の中、自分の境界を有耶無耶にできて、そしたらもう一度歩けて、ここまでこれた。彼の歌は私の特別な恩人だ。タイムカプセルみたいで、肩の力を抜くやり方を思い出させてくれる。
でかい木、虫がいる岩、冷たい鉄棒、朽木に座る時の音、そういうものと地続きで、でも、私の故郷のそういうのは全部なくなっちゃった。抵抗しなかったらちゃんと無くなっちゃう。
だからこれからもずっとずっとずっとずっと歌い続けてね。その身が続く限り。
お前が歌う最後の日まで、私は生き延びてそこにいたい。大好きな私のお星様。