2023.1.1 去年のこと

左の足首を捻挫している。
年末の休みが始まった日、吉祥寺で飲んでいた時に転んだような気がするからその時だと思う。他にも色々傷ができてた。
吉祥寺にいる時はなぜだかいつもレペットのブーツだ。滑るんだよ、裏張りが取れているから。

その日の午後3時半ごろ、昔よく通ったお好み焼き屋が閉店したと聞いていたから本当に閉店しているのかを確認しにいって、まあ閉店していて、分かってはいたけれどしばらくそこから動けずにいた。
分かっていたのにうろたえて、謎に公園の方に歩いて、なのに公園には行かず、そうだ今日何も食べてないんだと思い出して蕎麦屋に入って、うろたえた気持ちをビールで流し込んだ。そのあとは友達を呼んでずいぶん遅くまで飲んでいた。私にとって吉祥寺はいつも深酒の街。

そのお好み焼き屋に通っていた頃私はとにかく自分の薄情さや冷酷さに嫌気がさしていて、どうにかして自分の心に血を通わせようと必死だった。それで出した答えもまた人の道に外れていると言われ、こんなに一生懸命やっても駄目ならもういいか、と、ひとつ諦めた。当時何回も風邪をひいた。
それでもやっぱり真心や誠意で人と関わっていこうとは思っていて、日々意識していたし、分かってくれる人も何人かはいた。
それで、今年になって自分の心に血が走るようになって、ちゃんと熱を帯びるようになって、あー今までやってきたことは間違いじゃなかったし私もちゃんと人間だった、嬉しいな、と喜びを感じて。
その喜びの後味が残る中、ふと誰かの背中が恋しくなったりもした。


2022年4月、いつの間にか会わなくなった友達と久しぶりに電話をした。共通の知り合いの死をきっかけに彼から連絡がきたのだ。
その前の日私はちょうどその人に会いたい、と思ってLINEのブロックを解除したところだった。さすがのタイミングだったよね。
結局今年彼と会うことは無かったが、相変わらずの生きざまのようで、もういいか、と思った。彼の中に私がいただけでもういいのだ。
彼とは私が15の頃出会い、彼は19歳でパチンコ屋で働いていた気がする。
私が東京に遊びに行くたび、高円寺の彼の部屋で世界への文句を垂れたり朝日の素晴らしさを語ったりして過ごした。
魂の双子を見つけた気分で、私が恋していた男の子の話を真面目に聞いてくれて、指摘はいつでも的確だった。私が緊張のあまり眠剤でラリった状態で告ろうとしていたのを真剣に叱ってくれた時私はこの人を完璧に信頼したし、それはいまでも同じ気持ちだ。
時が経って話が噛み合わなくなった今でも私は彼が好きだなと思う。
15歳の頃誰とも分かり合えないと嘆いていたこの世界で、そう誰とも分かり合えるわけないんだよと2人きりで語り合えたことがどれだけ私を勇気づけたか。

ところで自分はいつも寂しがるのだけが得意で、なんなら寂しがることそのものが好きなんじゃないかと思う。
寂しがって、誰かに相手をしてもらって、でもやっぱり一人ぼっちじゃないかとうなだれて自分の足元を見ている時の感情のようなものを、私はどうやら大切にしているらしい。その後に見上げる星空は、私しか知らない私のもので、幼い頃からそういうものを心に大事にしまっておく癖があったのだ。
今でも幼い妄想と夢と、そこに誰かが舞台装置として機能して現れたひとりぼっちには、孤独という言葉はあまりにも似つかわしくなく。どこまでも体温がある。熱くて、私。
こういうことって、最近になってやっと分かってきたんだ。
だからこそ私には今あなたが必要なの。私が私であることを確かめるために、今これを読んでいるあなたがいなくてはいけない。あなたがあなたであることを確かめるために、私は1人で星空と密会する。そしたら私はきっとあなたのことを思う、あなたの体温を思う。話したことや話さなかったことを思い出す。会ってる時より2人きりだ。好きな人と会う時間より、好きな人のことを考えている時間が好きだ。寂しくて、一人占め。

なんだかここ数年、年末年始はいつもこんなような感じでおセンチになっている気がする。くぅ〜
おセンチついでにメモを遡っていたら、数年前の正月に書いた文章が出てきて、それがクソ長いんだけどとてもよかったので、実家にいる間に公開しようかな。にしても実家って寝れねー。家に帰りたすぎるね。