シルクのソックス

木嶋佳苗死刑囚の日記が、諸事情あって私の周辺で空前の大ブームだ。字がとんでもなく綺麗で、内容もなかなか読ませる。ただその綺麗な字がまたナルシスティックな感じで、奇妙な気分になる。自己愛性とか演技性の人物を目の前にした時特有の違和感。絶歌を読んだ時も似た気分になった。
私はエッセイや人のブログのようなものを自分ではあまり読まない方だと思っているのだけど、池袋母子餓死日記だけは大好きで何度も読んだ。人に読んでもらうために書かれたものではないから読めるのかもしれない。いや、この親子に特に思い入れがないから読めるのかもしれない。

人の日記を読むのが好きだという人がいる。けっこういる気がする。
なぜ?と聞いたら、好きな人のことをもっと知りたいから、と返ってくる。むずい。好きだから日記を読むんじゃなくて、日記を読むからどんどん好きになってるんじゃないかとすら思う。
私は、既に好きな人のブログとかはなかなか読めない。この人のことをこれ以上知りたいとか、そういうのがない。いや知りたくないわけではないんだけれども、目の前にしている時に偶然溢れてきたその人の何かをキャッチする、くらいの接し方じゃないと、なんだか罪悪感があるというか……贔屓のファンクラブ通信的なものも時間経たないと読めないし。

自分は、なんかの集まりで会う初対面の人に、Twitter見たよ!とかブログ見たよ!とか言ってもらえることがたまにあって嬉しいのだけれど、「え?!マジ??」みたいな反応になってしまう。最近は少し慣れたけど。
そりゃ公開しているんだから当たり前だし、人に見てもらうために公開しているんだからそれで正解なのだけど、私はその辺に干してある洗濯物とか、公園の花壇に苗が一個増えたの気付いてもらえるかな?というような感覚でブログを書いたりツイートをしているから、よく気付いたね!!!と驚き慄く。
そういうのも大きく構えてニコっと返せるようになりたい。時間差で嬉しくなるだけなって、これじゃダサいよな。
明日は久しぶりに本屋でもいくか。