2023.5.25 夢

この苦しみは誰のものなのか、もともとはどこにいた誰なのか、
私とこの29年間歩んできた苦しみとはまったく別人のような顔をした苦しみが
親しみを込めて!とそれはそれは大きな声、存在感で
自己紹介するでもなく

私は私でなくなるのが恐ろしくて毎日抵抗した、でも敵わなかった、だから簡単に飲み込まれた
飲み込まれて毎日泣いていた
日々を暮らすことを放棄した
時間が時間じゃなくなって
私はあなたに負けたのでした

夏がくる、苦しい
私は暑いといつも具合が悪いし
お酒を飲むのも長くはできない
虚ろで誤魔化すみたくしかいきてられない
実体があるみたいにふるまっているけれども、おそらくは、

もう思い出すことはないよ、夢

FALLING


花屋で働いていたころは、毎日花を踏み潰しては綺麗綺麗と喜んでいた。
働きはじめたときは茎を切るのでさえ躊躇していたけれど、ひと月も経てば花は私の遊び相手になった。
私はいつも遊び相手を探している。遊んでくれるやつが大好きだ。
1人で遊んでいるように見えても、ちゃんと相手がいる。ブロック塀、木、太陽、ラーメン、コンクリート、硬くても軟くてもいい。
遊び相手欲しさに子供が欲しいと思ったことすらあった。でも自分が女だから諦めた。子供と友達になれるのは父親の特権な気がする。

夜だった。深夜。突拍子もなく、将来の夢は、と聞かれた。
私はいつも部屋の壁を見て考え事をしているから、こういう質問にはすぐに答えられる。
その夜に腐った桃のような大きなあざができた私の太ももは、10日経つと巨大で美しい完璧なそれにすっかり戻った。一生治らないのでは、と不安に思うほど鮮烈に刻まれたように思われたが、人に見せようと太ももをあらわにするとすでに消えてしまっていた。
たいていのことはそういうものだ。忘れたくなくても忘れてしまうし、そういうことの繰り返し。

そうそう、夢。無事死ぬこと、と答えた。
大きなトラブルなく天寿を全うしたい。仕事クビになったりせず、病気にもならず、できれば長生きもしたい。それは私の性質上叶いにくいのだろう、でも願わずにはいられない。退屈すぎて死んじゃった、くらいの人生がいい。
私の人生はいつも何かが起きすぎる。誰かが映画を撮っているのかもしれない。
おかげでたいていのことには驚かなくなった。もともと刺激に弱くびっくりしやすい体質であるにも関わらずだ。もうどうでもいい。いちいちきちんと反応していたら身がもたない。
それでもたまに、魔法にかけられたように世界への興味を掻き立てられるような存在に出会うこともある。
ここ最近の私の集中力や好奇心は異常で、1日に何冊も本を読んで、天井を見ながら5時間も6時間も考え事をしている。洗濯もやらず運動もせず昼夜逆転していてどうしようもない。人からの連絡もほとんど無視している。電話にいたっては通知を切っている。電話は一方的にリンリン鳴るから暴力みたいで怖い。心臓に悪い。LINEやメールでアポ取ってから電話くれる人は分かってくれてるなあと思う。
こうなるのが嫌だから、何かに集中したり世界に向き合うことをなるべく避けてきたけれども、もうしばらくは止まらないだろう、破綻して周りに誰もいなくなるまで止まらないかもしれない。残ってくれる人は大事にしたい。

せめて映画の最後が陳腐で退屈であることを祈る。

2023.4.14 ラッキーとハッピー

やっと春のトンネルを抜けた。
今年はひどくて、いやあ〜死ぬかと思った。冬の不摂生・酒浸りがまあ後から効いてきて体調がおかしくなったのだろう。それにこの度の宝塚歌劇団花組の人事異動も私にとっては刺激が強すぎた。
いろいろあったなあ。1ヶ月前のことでさえ遠い過去のようで美しい。色んなライブを観に行ったし、舞台も観たなあ。ずっと行きたかった石神井公園にも行った。なんだか走馬灯みたいになってしまった。

今年の私の中の流行はどうやら毛虫らしい。気がつけば毛虫のことを考えている。こんなことは今まで無かった。
瑞々しい幸せが体に走って、私は少しだけ恐ろしくなった。
身の程を超えた何かを、当たり前だと思ってはいけない。
自分の身を守るために優しさすら調整をして、そういう狡い人間なのだから最後にはちょうどよく収まるのだろう。
でもやっぱり春は泣いている。普通の季節と比べたら、おかしくなっちゃったみたく泣いているね。

2023.4.6 オーイェスオーイェス



何日か前、散歩してたら本を拾った。その本に花びらを挟んで遊んだ。

誰ともコミュニケーションを取りたくないと頭で思っても、体がそれを求めたり、そもそもそんなことが社会的に許されるような人間でもなかったり。
通り道のミモザは枯れた。桜の木はそのうち毛虫だらけになるだろう。
今年は毛虫を触る。わたし毛虫触れるし!と宣言してしまったからね。ふわふわの毛虫は触っても平気らしい。

今日は仕事のあと下北沢へ行った。

ビール一杯で完全に具合が悪くなってウケた。本当にずっとゲロ吐きそうだった、おそらくライブハウスに緊張したんだろう。帰り道には良くなった。
下北沢は家から近くて歩いてよく行くけれども、それはユニクロがあるからだ。
でも、いつも下北沢で会っていた高校の同級生と、経堂の方がお互い近いってこないだ分かったから、もうしばらく行かなくなる気がする。
なんなんだこの文章は。
もう最近マジで、ガチで、私はみんなが言ってることがわからない。
なんでそんなことするんだろう、言うんだろうってマジで分からなくなってきた。多分疲れて狭くなってるんだ、狭いと大変だね〜。
他人の挙動が少しおかしいだけで、「こわっ」とか「きもっ」みたいな感じでずっと引いてる。やだね〜こんなふうにしていたらそのうち白痴になるわよ。

ところで今日友達と喋っていたとき、何かを創作しないと何を以て私か分からなくなってしまう気がするから何か作りたい、みたいなことを彼女が言っていて、心の中がお口あんぐりになってしまった。
いやもう、私がこの人の伝記を書くか。15年ほどの付き合いになるが、私はあまりにこの人の影響を受けすぎている。
ぶっちゃけ、私は、何を以て私であるか分からなくなることなんて、一切無い。だからこんな詩的な言葉出てこない。だから私の言葉はほとんど共感を呼ばないし、人の心を打たない。それでいいと思ってる。でも彼女のその表現力を、羨ましいとも思う。
私は私であることに甘えすぎていて、だから、何者かになりたいとか、そういうのがずっと無かったしみんながそういうことを言ってるのを聞いてもピンと来なかった。
でも今日なんか分かった。みんな、なんとか自分であろうとしている。その人がその人であることを表現したり確認するのって、案外容易でないのかもしれない。

2023.3.27 宗教

苦しみに、まだ居たのか、と言った。
そう、まだ居るよ、と返ってくる。ずっといるよ、と。
ずっとそばにいたのはそいつだけだった。ずっと私を見ていた。
私からは逃げられないよ、と言われた。でもそばにいると。
私の中から、外から、近くから遠くから、見つめてくる苦しみが、寂しくなったのか久々に私の前に姿を現した。私を忘れないで、と言っている。表情は見えない。
これは誰だろう。
私はそいつを救ってあげられない。でもそばにいる。共犯者はそいつだった。私はそいつから離れることを恐れている。苦しみに依存していた。いつのまにか私たちはひとつになっていた。

いつかこの苦しみが光となって、私を導くのだろうか。
姿を変えて、生きる理由となって、私を惑わす。
後悔も何もかも受け入れて、私の隣で息をしている生き物。苦しみよ永遠に私から離れないで。

2023.3.20 ミモザの



蝶々のように振る舞って、意のままにならず簡単に捕まらなければ当たり前に男には困らないのだけれども、私はただ求められるだけではまったくもの足りない、というかむしろ不快である、という自分の性質に気がついた。
求められたり追いかけられるというのは私の求める愛され方ではなく、私は私の心の場所で、相手は相手の心の場所で密やかにお互いを想い合うことが好きだ。

同じ灯を見つめていても、2人は見つめ合わない。
私は見つめ合うことよりも、同じ灯を見て少しずつ言葉を交わしたり、ただ黙って空間の心地よさを感じたり、そういう愛し方が好き。
GRAPEVINEの曲の歌詞に「歩き疲れて思い出せばいい 胸のあたりで愛すればいい」というとんでもない一節があるけど、そう、そういうことだ。
というのもやはり、逃げる獲物を情熱的に追いかけることは簡単で、この私でその狩猟本能のような欲を満たすとはなんと無礼な、と感じるのだろう。
それはその男の周りの他の女性の役目だし、私は、いつでも同じ場所でただ月を見て歌を詠んでる。追いかけられても逃げない、だってここは私の庭だから。ただただそこで月を想っている。あなたは、どう工夫しても触れないお互いの寂しさがある、という事実の美しさを、私の庭に遊びにきて、味わって感嘆しているだけでいい。

私に何か施すつもりでいるより、私を不快にしない努力をしてほしい。求める気持ちを抑えて、ただ密かに私を想っている男がいるならば、私はやっと男を愛せる。
黙って私についてくる、私に気付かれないように私を守っている、私を静かに慕っている男が好きだ。
それでいい。私を欲しいと思わないで。その他大勢にならないで。私の好きな花を育てて、私の好きな料理を練習して、私のことを勉強して私の庭で待ってて。そうしたら、いつか誰も味わったことのないような至上の悦びを約束するよ。
狩りは他でやってくれ、私は獲物じゃない。私は女王、跪いてつま先にキスしなさい。それが分からない奴は今すぐ私の目の前から消えて、二度と顔を見せないでちょうだいね。

明日は千秋楽


好きな人が笑ってる。好きな人が歌ってる。好きな人が喋ってる。
手紙を書く。きっとまた渡せない手紙。東京宝塚劇場の向かい側、日比谷シャンテの地下だよ。知ってるだろ?

苦しみをごまかすために好きになったわけじゃないのに、あなたで苦しみを消すのが癖になり、いつのまにかあなたそのものが苦しみになる。まったく女というものは……
高校の時から何も変わっていない。いつも何も覚えていない。衝動的。待てない。



今日、雨の日比谷公園は本当に誰もいなかった。
丸一日散歩していたような気がしていたのにまだ20分も経っていなかった。春特有の、時間の感覚が狂う感じ。花はツンと咲いていた。
ビルが濡れていて、なんだか怒ってるみたいに見えた。私だって濡れたんだから不機嫌だ。お前だけだと思うなよ。
誰の気持ちも分からない、混乱する。みんなが何を言っているのか、やっぱり今日も分からない。同じ日本語で喋っているのに。
私は正確に捉えようとしすぎているのかもしれない。強迫観念が強い。間違っちゃいけないって思ってる。他人が間違っていたら愛おしく思うのにね。間違って怒られたこともないのにね。
他人に理解されることは嫌がるのに、自分は他人を理解しようとするなんておかしいんだよな。性格がモラハラじみているんだよ私は。

日々が引っかかっている。
誰かそこにいるのか?
私はやっぱり恐ろしいみたい。臆病者なんだから優しくしてくれよ。でも、私を完全に無視して進む時間や季節や人々に安心したりもする。その方がいい。優しいのは苦しいから。別に泣きつきたいわけじゃない、共犯者が必要なんだ。
でも待って。
今日の雨が全て洗い流してくれたのだとしたら?
いったんリセットした方がいいんだよ。ただの状態だよ。会いたい人にだけ会おうね。
明日起きるひとつの輝きを、受け入れる準備を今夜はしよう。