今夜の恋人について

彼に出会ったのは2017年だった。
確か、ふと立ち寄った伊勢丹のメンズ館だったか。

気温が高く昼間から雨が降っていたような日は、だいたい猫なで声で彼を呼び出して寝る。
持続時間は長く、一晩中静か且つ濃厚に香り続ける。
ジャスミンだから濃い香りだけれど、主張や刺激とは無縁な、粋な香り。
胸元に吹きつけてパジャマを着て布団に入り温めれば、むせかえるほど熱く充ちた体温の湿り気と、汗をかいた後のひんやり冷たい肌が交互に浮かぶ。
ジャスミンの香りは太古から使われる催淫剤だ。気だるく官能的な気分で眠りにつく。
香りの変化はほとんどなく、朝になると少し煮詰めたような残り香。
トップノートのかすかな気高さなんて残っていない。私の肌で一晩中咲いていたことを、生々しい流し目で伝えてくるだけだ。
もう少しだけ、と思わせるようなちょうど良いところで終わらせる優しさなんて持ち合わせていない、彼は、私がシャワーを浴びるまで執拗に夜を思い出させる。
私はこの残り香に何度もダメにさせられた。人との予定に遅刻してしまいそうになるのだ、胸元の痕跡を消したくなくて、シャワーを浴びることをためらってしまう。うっとりとまた毛布に潜り込む。

彼はその名の通りまごうことなき夜の香りだけれど、夜遊びには向かない。寝香水として完璧な香水だ。
私が自分のために纏う香水の一つで、彼以外の香水には見向きもせず体の一部のように思っていた時期もあった。いわゆるシグネチャーセントとして私に機能したのは、この香水が初めてだった。
そして去年彼は、廃盤になった。私は動揺し在庫を買ったが、それからはこんな思いをするくらいなら香水を一つに決めるのはやめようと思って、また様々な香水に惚れては飽きてを繰り返すようになった。

そんな彼が。本国フランスの公式サイトでボトルを変え再販されていると知ったのは今年の8月だ。
死んだと思っていた恋人が、遠くの国で生きていることを知ったような複雑な気分だった。
私は彼に惹かれて他の香りを受け付けなくなるような青臭さはもう捨てたけれど、彼と2人だけの世界で毛布をかぶって聴いたグレングールドを忘れることはできない。
だから私は今でも、嵐の夜には彼と寝るのだ。


セルジュルタンス
A la nuit(夜に)